人物像と経歴

人物・功績・略歴

 丹羽太左衛門は昭和11年3月、学窓を出ると同時に農林省畜産試験場に奉職。

同40年5月までの29年余、同試験場並びに同農業技術研究所畜産部(機構改正による)にあって繁殖研究室長・繁殖科長から研究生活が始まる。

【人物像】

研究者としては辛抱強く、粘り強い性格も手伝って、地道に一歩一歩達成すべき試験研究に向き合い、計画的展望の下、細心に確かめつつ立証し、結果を積み重ね、研究を体系づけていった。たとえ困難な立場に置かれようとも、渾身の力でやりぬいていった。
戦後の疲弊していた時代、時間が許す限り(戦後の不十分な交通網の中)持てる限りの参考資料をもって、人工授精の技術の普及および養豚に関する講演を全国北から南まで、要請があればどこにでも出かけ、啓蒙に努めた。その努力は尋常なものではなかった。また1人でも多くの研究者の業績に日が当たるよう助力し、研究が認められるよう陰ながら力添えしていった。

【功績】

家畜の人工授精、受精卵移植、家畜の改良、繁殖、育種(産肉能力検定)と多方面にわたる。諸外国への技術指導並びに、国際会議においては、基調講演、座長などをたびたび行い、日本の技術水準の高さを示すと共に国際交流の基盤を構築。斯界の先駆者として、わが国の畜産の振興、発展に大きな成果をもたらした。

  1. 「ランドレース種」の日本への導入決定(新品種導入についての提言)
    • ランドレース
      第6回名誉賞(高松宮杯)
      (神奈川県、二見一雄氏 出品)

    • ヤルマ・クラウセン教授
      (ランドレースの作出者)

    戦争によりわが国の豚の頭数は壊滅的打撃を受け、史上最低にまで落ち込んだ。「養豚の血液更新」の観点から熟慮の結果、デンマークから「ランドレース種」を導入することを進言・決定する(1958年・昭和33年 丹羽太左衛門42才の時)。
    この「ランドレース種」の導入は日本養豚界を一変することになる。研究は、家畜の人工授精の実用化、受精卵移植・家畜の改良(豚の系統造成事業)
    への取り組み・繁殖・育種(産肉能力検定)の体系作りへと発展し、戦後の国民の体位の向上と今日の日本の安定した豊かな食文化へと導いていく。

  2. 家畜の人工授精(わが国の豚人工授精(液状精液)の確立)の実用化
  3. 日本家畜人工授精研究会の設立と人工授精師の養成
  4. 受精卵移植(豚凍結精液の実用化技術の確立)(豚凍結精液利用技術マニュアルの作成)
  5. 家畜の改良(豚の系統造成事業の推進)・繁殖・育種(産肉能力検定制度)の体系確立
  6. わが国の「種豚体格審査標準・種豚審査標準・種豚登録審査基準」および「豚枝肉・部分肉の格付規格・審査基準事業」の整備
  7. 日本養豚学会(旧日本養豚研究会)の設立

【海外(中南米・アジア諸国)への技術指導】

ビルマ国(ミャンマー)政府の要請(1961年 昭和33年)をはじめとして、シンガポールへはFAOのエキスパートとして(1970年 昭和45年)、またキューバへはキューバ政府の招請(1972年 昭和47年)、その他台湾・韓国・タイ、メキシコなどへも家畜の人工授精指導にあたった。特にビルマでは、初めての空輸による液状精液人工授精の試験を試みた。(東京-ラグーン間 精液採取~現地受精 (44.5~76時間) 受胎率80.1%)

  • ビルマ国での最初の豚人工授精講習会を視察に訪れた同国政府首脳部への説明(1961年)
  • 台湾省畜産試験所での第1回豚人工授精講習会(1962年)
  • キューバ国での豚精液採取技術の指導(1972年)
  • シンガポール養豚場での人工授精(1970~’71年)
  • 中華民国(台湾)における豚の人工授精技術の指導(1962年)
  • キューバ国での実習(1972年)

【国際学会における活動】

第4回国際家畜繁殖学会において日本人初の基調講演(1961年 昭和33年6月オランダ ハーグ 45歳の時)に指名されるなど、30回を超える学会に出席し、特別講演・座長などを務める。日本の技術力の高さを海外に示した

第4回国際家畜繁殖学会議の開会式(1961年6月)
(オランダ国ハーグ, Knight’s Hall)

【略歴】

大正5年3月3日 滋賀県長浜市余呉町上丹生2825に生る
昭和11年3月 盛岡高等農林学校獣医学科卒業(現岩手大学農学部)
昭和11年4月 農林省畜産試験場助手(第1部勤務)
昭和16年9月 農林省畜産試験場技手(昭和21年7月,同場第1部豚係主任)
昭和25年4月 農林省農業技術研究所家畜部繁殖科繁殖第1研究室長
昭和28年1月 農学博士(東京大学)(学位論文「豚の雄性生殖機能に関する生理学的研究」)
昭和32年4月 農林省農業技術研究所家畜部繁殖科長兼繁殖第2研究室長
昭和36年6月 米国ミネソタ大学畜産学部客員研究員として滞在
昭和36年12月 農林省畜産試験場家畜部繁殖科長(現繁殖部)兼繁殖第2研究室長
昭和40年5月 日本農学賞,読売農学賞を受く
昭和40年6月 信州大学教授(農学部),農林技官(畜産試験場)併任(昭和41年11月まで)
昭和41年4月 農林大臣賞(功績賞)を授く
昭和42年12月 岩手大学教授(農学部)
昭和43年4月 岩手大学大学院農学研究科担当
昭和46年4月 西川畜産奨学財団賞を授く
昭和55年5月 日本農業研究所賞を授く
昭和55年11月 紫綬褒章を授く
昭和56年4月 岩手大学教授定年退官(1981年)
昭和56年4月 東京農業大学教授(総合研究所)
昭和56年5月 岩手大学名誉教授
昭和57年12月 東京農業大学大学院指導教授
昭和61年3月 東京農業大学教授定年退職(1986年)
昭和61年7月 東京農業大学客員教授
昭和63年4月 岩手県立農業短期大学校顧問教授(非常勤)
昭和63年4月 勲2等瑞宝章を受く
平成28年6月 従四位に叙される

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