特別寄稿:丹羽太左衛門先生の七回忌に寄せて

7回忌に寄せて 優しい偉大な先生

 早いもので、日本養豚学会名誉会長だった丹羽太左衛門先生の7回忌を迎える。私にとって忘れられない、先生との思い出がある。
 40数年前、大学を卒業したばかりで、初めて学会でイノシシの血液型研究について発表した。当時の学会ではイノシシの研究は、殆どなかった時代だった。会場では私の一番近い席で、豚の繁殖や育種の研究で世界の学会で知られた丹羽先生が発表を聞いて居られた。発表終了後、最初に質問されたのが丹羽先生だった。「豚の祖先種はイノシシなのだから、イノシシを知らなければ豚のことは何もわからない。イノシシの研究は大切です。頑張りなさい」と。以来、先生のお言葉を支えに今日まで、イノシシ研究に取り組むことができた。
 先生は岩手大学をご退職された後、新たに東京農業大学に教授として就任された。偶然、私も同大家畜血清学研究所の研究助手に採用され、お互いの仕事場が同研究所ということも不思議なご縁だった。先生から豚について色々とお話を伺うことができ、充実した毎日を過ごした。国際誌に投稿する論文では、苦手な英語で修正する必要があり、先生に相談したところ、「クロサワ君、この論文で何を言いたい、話してみなさい」と。先生は私と研究分野が異なるにもかかわらず、素早く英文で加筆、修正して下さり、見事、国際誌に受理、掲載されたのである。
 そして、私の郷里である“前沢牛”で知られた岩手県前沢町(現・奥州市)に「牛の博物館」が建設されるときだった。町の依頼で展示構想に関わった私に丹羽先生は、「家畜人工授精の基礎を築いた旧ソ連のイワノフ博士の資料と、牛の精液を伝書鳩で輸送した記録の資料がある。それを展示しなさい」と、ご指導して下さった。先生は世界各地の農畜産関係の博物館に造詣深く、日本に「豚の博物館」をと願っていた。それだけに「牛の博物館」の開館は嬉しかったのでしょう。先生は数名の畜産関係者をお連れになり博物館を見学された。イワノフ博士に関する資料と牛の精液輸送の再現展示をご覧になり、嬉しそうだった。博物館でこれらの資料を観る度に先生を思い出す。私の研究と博物館活動を支えて下さった優しくもあり偉大な先生だった。

(黒澤弥悦)

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